FUMONIN Hikaru's Artistic Days

Web投稿などで活動するアマチュア作家・小説家で、オケなどで活動するアマチュアのチェリストです。

チェロという楽器を独奏楽器に押し上げた人 ~パブロ・カザルス~

 音楽家の正装の話を書いたので、続きの話を書きます。

 今や、チェロという楽器が独奏楽器と言っても、疑問をはさむ人はいないでしょう。

 初めて弦楽器を習おうかという人が、ヴァイオンにするか、チェロにするか悩むということもよく聞きます。チェロのケースを抱えて街を行く姿を目にすることも、珍しくなくなりました。音楽教室は活況で、ヴァイオンよりもチェロの方が多いのでは、という勢いです。

 ですが、チェロが独奏楽器として広く認知されたのは、20世紀に入ってからです。

 そのきっかけとなったのは、パブロ・カザルスがもたらした、演奏技術の改革です。

 前に書いたように、クラシック音楽は、もともと王侯貴族の前で演奏するものでした。このために、演奏の見た目も重視されます。特に、弦楽器は、弓を動かす動作をするので目立ちます。弦楽器の運弓をいかに優雅に見せるかということで、いくつかの流派がありました。これらの流派では、肘を体から離してはならないとか、pかfかにかかわらず、常に全弓を使わなければならないとか、今からすると信じがたいものでした。

 カザルスは、「演奏技術は演奏する音楽にしたがうものだ」ということを主張した人物です。弓を使う量もpなら少なく、fなら多くという、今ではごく当たり前のことが、当時は、革命的なことと受け止められたのです。

 当時は、古い秩序が破壊され、新しい価値を提示することがもてはやされたこともあり、彼の主張は賛辞を持って受け入れられます。さらに、ヴァイオンなどの奏法にも取り入れられていきます。

バルセロナのカザルス像

 カザルスは、クラシック音楽の本場ではないスペインの出身で、なんと正式に先生にチェロを習ったのは4年間だけなのだそうです。だからこそ、古い伝統にとらわれずに、自由な主張ができたのかもしれません。

 残念ながら、カザルス自身は、自らのチェロの技術について、教則本的な著作は残していませんが、その弟子たちは、かなり細かな著作を残しています。音楽家は、実は、練習曲(エチュード)は残していても、演奏技術を書き記した書物は、ほとんどないのが実情です。練習曲から、技術を推定するしかないのです。そんな中で、カザルスの弟子たちの著作はとても貴重なものです。

 カザルスが主張した技術の数々は、運弓だけではなく、フィンガリングなどにも及びます。その中の一つに、「左手のパーカッション」と呼ぶ技術がありました。カザルスは、左手で弦を押さえるときに、素早く叩くようにすることで、音のアーティキュレーションがクリアになると主張しました。左手を使ったピチカートは、パガニーニが書いた超絶技巧を駆使した曲などで出てくるので、まったくのオリジナルではありませんが、これをピチカートではなく、弦を押さえるときに使うというのは、カザルスのオリジナルです。

 昭和の時代くらいまでは、このやり方が主流でした。ですが、技術は不変ではありません。水泳の泳法が、昭和の時代と令和の現代では変化しているように、楽器の奏法も変化します。現在では、左手で弦を叩くことはしませんし、押さえるときも、指板から少し浮かせるのが主流です。そのほうが、指板との摩擦がなくなり、弦がよく鳴るのです。

 余談ですが、左手のピチカートというのは、うまく使うと効果を発揮することがあります。例えば、ブラームスチェロソナタ第1番の第1楽章で、アルコで弾いていて、突然に1発だけDのピチカートが出てきます。これをアルコで弾いていたのを持ち替えて、右手で演奏すると、とてもせわしなくなりますが、開放弦のDを左手で弾くとスムーズにできます。

 オーケストラの作品でも、アルコとピチカートの切り替えが難しいことは良くあります、時間がない時は、持ち替えずに中指を伸ばして弾く手もありますが、プルトで分担して、表の人はアルコを早めに切り上げてピチカートを弾き、裏の人はアルコの音を最後まで弾いて、ピチカートは弾かないというように分担する場合もあります。実は、今練習しているブラ2でもあるのですが、アルコの直後に出てくる音が開放弦のGでいけるので、左手で弾いています。

 また、カザルスの業績の一つに、バッハの無伴奏チェロ組曲の価値を知らしめたことがあります。バッハの音楽が忘れ去られていた、という話は既に書きました。カザルスの時代、ある程度復権はしていたものの、無伴奏チェロ組曲は、まったく注目どころか、理解されていない作品でした。

 この前提に、時代による音楽様式の変化があります。バロック時代の音楽は、その前のルネサンス期の音楽の影響が残っていました。ルネサンスの音楽は、教会音楽、中でも合唱がメイン。合唱は、4声部などのものでしたが、主従関係はなく、4声部が平等に絡み合っていくポリフォニーというやつです。バッハのフーガは、まさにこれを発展させた作曲技法なわけです。

 バッハの無伴奏チェロ組曲は、このポリフォニーのテイストを、独奏楽器で表現するという大胆なものでした。ですが、これが結構難しい。そういう曲なのだという前提に、聴いている方も、声部の絡み合いを頭の中で補ってあげないと、意味がわからない。

 時代が、ハイドンモーツアルトの時代になると、音楽の様式が変わります。メロディーが主役として固定され、これを伴奏が支えるという様式に変化します。これが音楽の形の常識だという認識は19世紀まで続くのです。

 バッハの無伴奏チェロ組曲では、1番や4番のプレリュードなど、延々と分散和音が続く曲があります。これを見て、実は、これはメロディー部分が失われた伴奏部分のパート譜なのではないのか、という説まであるほどでした。

youtu.be 第1番のプレリュードは、平均律クラビーア曲集第1番にとてもよく似ています。作曲家のグノーは、これを伴奏として「アベ・マリア」のメロディーを作曲しているのですが、まさにその発想ですね。 

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  カザルスは、粘り強くこの曲を演奏し続け、その価値が認められるようになっていきました。彼は、無伴奏チェロ組曲の楽譜を、子供のころに古本屋で見つけ、その価値を認めてずっと温めていたのでした。すごい、執念です。で、結局、バッハの無伴奏チェロ組曲は「チェロの旧約聖書」とまで呼ばれるメジャーなレパートリーとなったのです。

 ということで、チェロを独奏とした曲が本格的に作曲されるのは19世紀末に入ってからで、時代的には「現代音楽」となります。

 そんな中で、貴重なのが、ベートーヴェン先生のチェロ作品です。ヴェートーヴェン先生は、チェロソナタを5曲。チェロとピアノの変奏曲を3曲。そして、ホルンソナタのチェロ用編曲版を残しています。これが、また異例で貴重なものなのです。ちなみに、ベートーヴェンチェロソナタは「チェロの新約聖書」とも呼ばれます。

 これは、すなわち、本格的なチェロ作品のレパートリーが、カザルスの時代、少なかったことを意味します。このため、カザルスは、他の作品から転用した小品を多く演奏しています。フォーレの歌曲「夢の後に」をチェロで演奏したものなどが代表選手ですが、こちらは他の演奏家も倣って演奏するようになって、チェロ版の方が、むしろ有名なほどです。

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 こうして、チェロという楽器は、独奏楽器としての市民権を得て、それ以降は独創チェロの作品が多く書かれることになるのでした。

 

 

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