FUMONIN Hikaru's Artistic Days

Web投稿などで活動するアマチュア作家・小説家で、オケなどで活動するアマチュアのチェリストです。

学芸会のお馬さん? ~ワルキューレの騎行~

 9月にある定期演奏会の前プロで「ワルキューレの騎行」をやります。映画「地獄の黙示録」中の武装ヘリが飛行するシーンで使用され、一気に有名となった曲です。

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 この曲は、ワーグナーの楽劇「ニーベルングの指環」の中で出てきます。この作品。他に例を見ない長編で、4夜にわたり上演されます。

 このうち、ワルキューレの第3幕への序奏が「ワルキューレの騎行」というわけです。本来は、ワルキューレたちの歌も入っているのですが、オーケストラの演奏会では、省略されることも多いです。歌詞は、「ハイヤ・ホー」というかけ声ばかりなのですけどね。

 戦乙女ワルキューレたちは、主神オーディンの直轄部隊にして、愛と豊穣の女神フレイヤの従者であり、半神の神格を持つ女戦士です。甲冑に身を包み、羽飾りの兜と剣や槍、盾などを装備して武装し、天馬ペガサスを駆って空を翔けます。「ワルキューレの騎行」は、まさにワルキューレたちが天を騎行する様を描いたものです。

 「ワルキューレ」はドイツ読みで、「ヴァルキリー」と言った方がピンとくる方もいるかもしれません。ゲームなどだとヴァルキリーの方が多いです。

 戦死した戦士の魂は、ワルキューレによって選別され、英雄エインヘリャルと認められた者はヴァルハラへと導かれます。ヴァルハラは、北欧神話における主神オーディン宮殿グラズヘイムにあります。ここでは戦と饗宴が行われ、終末の日ラグナロクに備えるのです。

 伝承では、自ら戦場に赴いて戦い、勇敢な戦士に恋心を抱いたりといった逸話などもありますが、死者の魂を誘うという役割から、冷酷な死神のイメージもありました。これが、ワーグナーの作品でとりあげられたことで、一気に有名となり、ポジティブなイメージが定着します。その後は、いろいろなファンタジー作品にも登場するようになりました。実は、拙作「双剣のルード【Doppelschwert Ludwig】 ~剣聖と大賢者の孫は俊傑な優男だが世間知らずのいなかもの~」でも、登場させます。

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 ワルキューレについては、ワーグナーの作品中で準主人公である「ブリュンヒルデ」が最も有名ですが、ほかにもいろいろな名前が伝わっています。ワーグナの作品では、9人とされていますが、伝承では、もっと多くの名前が伝わっています。得意な武器なども、さまざまです。

(代表的なワルキューレたち)

  • ブリュンヒルデ(Brynhildr)- 輝く戦い
  • スクルド(Sculd)- 運命の三女神の三女で未来を司る
  • ゲンドゥル(Gondur/Göndul)- 魔力を持つ者
  • ゲイルスケグル(Geirscögul)- 槍の戦
  • スケッギォルド(Sceggiöld)- 斧の時代
  • レギンレイヴ(Reginleif)- 神々の残された者
  • シグルドリーヴァ(sigrdrífa) - 勝利をもたらすもの etc

 「ブリュンヒルデ」は、田中芳樹先生の「銀河英雄伝説」中で、ラインハルトが乗る旗艦の名前としても使われています。帝国軍の戦闘機の名前も「ワルキューレ」でしたね。古い作品ですが、最近、アニメもリメイクされたので、知っている方も多いでしょう。

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 それで、ようやく演奏会の話ですが、「ワルキューレの騎行」で活躍するのは、専ら管楽器、特に金管楽器です。弦楽器は、はっきり言って、効果音担当ですね。

 チェロは、ホルンの一部と一緒に、タンタタンというリズムをひたすらきざんでいます。天馬が空を駆ける様を描写したものですが、これはヴェートーヴェンの交響曲第7番第1楽章のリズムにインスパイアされたものだと思います。ワーグナーが、この曲のリズム動機に感銘を受け、舞踏の聖化 (Apotheose des Tanzes)と絶賛したことは、有名な逸話です。

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 で、このリズムは3連符に付点音符がミックスされたもの。具体的には、最初の3連符2つ分の付点を下げ弓(Down bow)で、最後の3連符一つ分を上げ弓(Up bow)で弾きます。が、弦楽器は、ダウン・ボウとアップ・ボウが不均等なリズムが苦手なのです。

 当然に、アクセントは冒頭にあるのですが、何も考えないで弾いてしまうと、アップ・ボウで前半のダウン・ボウで弾いた3連符2つ分を一気に戻すことになるので、アップ・ボウの方が強くなってしまう。そうならないように、コントロールするのも大変だし、付点音符が甘くなってもカッコ悪い。おまけに、音程の跳躍もある。特に、♯が5つに転調したところの、音の跳躍は音程のコントロールもたいへんです。そんなことで、相当に神経を使うのです。何小節か休みはあるものの、ずっとこれが連続するのは重労働です。でも、主役は、あくまでも金管楽器だと思うと、不毛な感じもします。しかし、これがないと天馬が駆ける雰囲気は出ないのですよね。そう思うと、学芸会のお馬さんの役になった気分です。

 でも、ブラームスは、金管楽器の出番が少ないし、演奏会全体として考えれば、それでバランスが取れているのです。もちろん、脇役ばかりの団員ができるだけいないように考慮して選曲をしているのですから。

 ワーグナーは「ニーベルングの指環」で、物語の登場人物のみならず、剣などの道具や死の告知などの概念を短い動機によって示す示導動機ライトモティーの手法を使っています。これは、現代の映画音楽なども同じです、意識して聞いていないかもしれませんが、スターウォーズでダースベイダーが登場するシーンでは、彼のライトモチーフが流れているのです。で、チェロにとって重労働な付点リズムの音型は、まさに「ワルキューレの騎行」のライトモチーフです。

 ワーグナーについて、もう少し語ると、彼には熱狂的なファンがいることで有名です。「ワグネリアン」と呼ばれる人たちです。彼が作った楽劇における凝った世界観と、大胆な作曲技法を用いた魅力的な音楽は、その人たちを熱狂させました。

 その代表選手が、バイエルン国王のルードヴィヒⅡ世です。彼は、ワーグナーのオペラ「ローエングリン」などの熱狂的なフアンでした。白鳥に引かれた小舟に乗って登場する「白鳥の騎士ローエングリン」に心底憧れます。ローエングリンは、アーサー王伝説における円卓の騎士の1人、パルジファルの息子です。

 オペラ「ローエングリン」の劇中で使われる「婚礼の合唱」は、ウェーバーの結婚行進曲と並んで、結婚式で使われる音楽としておなじみ。クラシック音楽を知らない人でも、絶対に聞いたことのある曲です。

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 ルードヴィヒⅡ世は、ワーグナーパトロンとして、資金援助を惜しみませんでした。ついには、バイロイト祝祭歌劇場という、ワーグナー作品専用のオペラハウスまで作ってしまいます。ワグネリアンは、現在でも多く、彼らにとって、バイロイト詣では聖地巡礼のようなものになっています。

 そして、夢想家のルードヴィヒⅡ世は、美しい城として有名な「ノイシュバンシュタイン城」まで作ってしまいます。

ノイシュバンシュタイン城

 このお城には、ローエングリンの世界を模した部屋もあるそうです。作られたのは、19世紀も後半に入ってからなので、中世のお城でも何でもなく、王様の時代錯誤な趣味のために作られたお城です。高額な建設費のため、国庫にも大きな負担がかかりました。しかし、結果として見れば、美しいお城No1なことは間違いなく、有力な観光スポットにはなっているので、結果オーライなのでしょうか。新しいお城ではありますが、世界遺産にも登録されたそうです。

 

さすらいのオーケストラ ハァ・・(;-ω-)=3

 今日のオケの練習は立川でした。しかも、午前中。自宅からは、直線距離では、それほどないのですが、電車の乗り換えが面倒で、けっこう微妙。

 結局、京王線経由で行くことにしたのですが、ああいう長い私鉄は、特急、急行、快速、各駅だの種類が多い。案の定、電車を間違えて、遅刻してしまいました。

 練習場所の確保は、アマオケの大きな悩みの一つ。普段使いしている練習場所はあるけれど、いつも予約できるとは限らない。結果、遠方の場所しか確保できないことも、度々あります。これが午前中だと、輪をかけて辛い。チェロを背負っての、長距離移動ならなおさらです。

 電車の中では、ヴァイオリンやチェロを持った人を何人か見かけました。あの人たちも、練習場所が遠いのかな?

 でも、立川は、まだ都内なので許せます。過去、大宮、横浜などまで、練習のため遠征したこともあります。もはや、境界を超えて隣の県です。距離的に、一番遠いのは、大宮ですが、埼京線が早いので、時間的にはなんとかなるんですね。私は、新宿から乗るのですが、ホームが変な場所にあるし、湘南新宿ラインなどと共用で、しかもホームが二つある。なので、駅の表示板をよく見ないと失敗します。

 スマホのナビアプリを使うことも多いのですが、あてにならないこともある。結局は、駅の表示板や駅の構内放送に注意を払わないと、やはり乗り間違いが起きてしまう。

 特に、初めての練習場所のときは、不安ですね。余裕をもって家を出たつもりでも、ちょっと迷っただけで時間のロスは結構なものがあります。

 立川もそうですが、郊外の町というのは、開発が進んで、大型店舗なども出店しているし、なかなかのものです。でも、そうじゃない町もある。

 高島平へ行ったときは、ちょっとビックリしました。イメージは、かなり歴史あるベッドタウンという感じ。巨大なマンションが立ち並び、壮観といえば、そうですが、ああいう巨大なマンションは生活感がないんですよね。住んでいる方には、とても失礼な感想ですが。

 そんなことを言いつつも、私の自宅周辺でも、一戸建てなどの住宅が、どんどんマンションに置き変わっています。マンションが立ち並ぶ大通りというものは、やはり好きにはなれないですね。東京の地価は、異常に高いので、そもそも親から家を相続して、維持できるのは、よほどの資産家でないと無理な状況です。相続というのは、不労所得なので、税率が高いのは道理なのかもしれませんが、このままだと、いずれは東京からナイスな感じの住宅街は姿を消してしまうのではないでしょうか。かなり、寂しい感じがします。

 今日の練習は、シューベルト交響曲第2番が中心でした。演奏会でとりあげられるのは、かなりレアな曲です。作曲したのは、なんとシューベルトが18歳のとき。その若さで、こんな曲が書けるというのは、天才なのでしょうね。

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 この曲ですが、まだ初期の曲ということもあり、伝統的なハイドンモーツアルトに似ている感じもあり、また、シューベルトが尊敬してやまないベートーヴェンを意識しているであろう部分も多々あります。

 他のプログラムで、ベートーヴェンエロイカとプロメテウスの創造物序曲をやるので、ヴェートーヴェンっぽくなりそうになるのですが、そこはやはり違う。

 ということで、どういうテイストで演奏するのが正解なのか、まだ試行錯誤中な感じですね。今日やった感じだと、あまりベートーヴェンっぽくしない方がしっくりくるかなと思いました。

 シューベルトは、この時期から、既に凝った転調をやっています。難所なのが、1楽章で、b-moll(変ロ短調:フラットが5つ)から始まってじわじわと転調するところ。b-mollから始まり、♭や♮の臨時記号が頻繁に出てきて、1小節ごとに調が変化していき、最後は変ホ長調へ。

 そもそもGes(ソ♭)というのは、滅多に出てこないので弾き慣れないし、弦楽器で一番鳴りにくい音なのです。

 幸い、ヴィオラとユニゾンではあるのですが、ヴィオラでも難しそう。ヴィオラで難しいのなら、チェロは推して知るべしというところです。

 1楽章は、ヴァイオンも苦戦しているみたいです。

 ただ、寂しいことに、聞いている分には、ぜんぜん難しそうな曲に聞こえないんですよね。

 来週はもう8月で、夏休みもあります。9月の本番まで、練習は数えるほどしかありません。そろそろ、焦らないといけないようです。

 

 

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公募完了。そして次回作をどうしたものか?

 6月の下旬に、締め切りまで1週間くらい残して、公募へ応募しました。とりあえず、ファンタジー小説とだけ言っておきましょう。

 ですが、公募の郵便を発送した直後、身辺で慌ただしいことが相次いで発生し、早めに応募しておいてよかったと、胸をなでおろしたところです。締め切りは6月末の消印有効だったのですが、ギリギリまで粘っていたら、トラブルになっていたかと思うと、冷や汗がでます。

 とにかく、郵送してしまったら、手を離れたわけで、まな板の鯉状態です。応募した後も、ついつい原稿を見直してみてしまうのですが、誤字脱字を複数発見。複雑な気持ちです。でも、致命的な誤りではないので、なんとかなるか。

 それで、気が抜けてしまい、気付けば、もう7月も下旬です。ついては、次回作をと考えているのですが、どうしたものか?

 実は、前々から歴史小説を書いてみたいと思っていました。割り切ってしまえば、いいままでの作品は、練習です。カッコよく言えば「習作」ですね。

 私の読書歴は、高校生のころに、推理小説にはまったことに始まり、その後中国物を中心とした歴史小説にはまりました。そのきっかけは、田中芳樹先生の「銀河英雄伝説」を読んだことにあります。そのとき、先生は絶対に中国の歴史が好きなんだろうなあと痛切に感じ、ならば中国の歴史ものも読んでみようと思いました。その後、田中先生は、中国の歴史ものも書かれているので、それは当たっていたわけです。

 とりあえずは、定番の吉川英治先生の「三国志」を読みました。

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 日本人は、三国志大好きだし、あらためて、三国志にまつわることわざなどの多さを実感しました。「死せる孔明、生ける仲達を走らす」とか、「泣いて馬謖を斬る」とか、あるわあるわ。出典を知らずに使っていた言葉もありました。どんだけ、三国志が好きなんだよ、日本人! という感じです。

 客観的に長期的・歴史的な目で見て、東アジアでは、日本は辺境国であり、文明の中心は中国でした。江戸時代まで、日本人は中国の文明に憧れ、取り入れてきたのですから、無理もないことなのかもしれません。ただ、中国から取り入れた思想や制度は、日本的に変容していて、盲目的な模倣でないことは確かです。

 その後、陳舜臣先生や宮城谷昌光先生の小説を乱読しました。

 中国の歴史を俯瞰するのに役立ったのが、陳舜臣先生の「十八史略」ですね。

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 これは、歴史小説を読んでいく基礎を身に着けるのに、とても役立ちました。でも、残念ながら、ここで書かれているのは南宋までなんですよね。その後の、明、清などが書かれていない。この時代は、西洋列強の影などもあり、中国の伝統的な価値観が通用しなくなっていく時代。様々な要因があって、ぐちゃぐちゃな感じの歴史は、実は結構好きだったりします。

 東アジアの歴史は、五胡十六国の時代など、乱れた時期もありますが、統一王朝一強の時代が長いですよね。

 対して、ヨーロッパは、ローマ帝国の崩壊以降は、一強と言える国は実現しない。キリスト教国どうしも争うし、政教分離が確立しないうちは、教会の権威が大きな要素としてあるし、異民族、異教徒との争いもある。やはり、こういう複雑な要素の絡み合った歴史は、やはり好きです。しかし、ヨーロッパを題材とした小説などは、驚くほど少ない。ローマを題材としたものがあるくらいでしょうか。

 一方で、中国の歴史ものは、多くの作家さんが扱っていて、書き尽くされた感があります。

 で、私としては、ヨーロッパを題材としたものを書いてみようかと漠然と思っていたりします。そこで、困ったのが、資料が少ないということ。日本語の資料は、通史的なものはありますが、特定の人物や時代を深堀りしたものが見当たらない。英語のものも簡単に手に入りそうにない。洋書を扱っている、日本語サイトでは、その手の本は、まず売っていないのです。最近は、外国の通販サイトでも、日本円が使えたりすることもあるようなので、探してみようかなとも思っています。でも、それはそれで一苦労なんだよなあ。

 これは、ちょっと不思議な現象かなとも思います。ヨーロッパ的な舞台のファンタジー小説などは山ほどあるというのに、ヨーロッパの歴史小説が少ないのはなぜ? 知っている人物でないと、思い入れができないということなのか? でも、中国ものも、定番の三国志関羽劉邦の話以外にも、以前は知られていなかった人物をたくさん取り上げていますよね。

 ちなみに、中国の歴史小説を読む資料的なもので、もうひとつ気にいっているのは、田中芳樹先生の「中国武将列伝」です。

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 この本で、こんな人物がいるんだ、ということを勉強させていだだきました。

 これのヨーロッパ版はないものかと思うのですが、私が知らないだけでしょうか?

 

 といいつつ、実は書きかけの作品があります。

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 もともと、連作短編として考えていたものですが、ちょっと停滞ぎみ。舞台は日本で、真言密教をメインとしたローファンタジーです。おぼろげな、全体のあらすじの構想はあることはあります。

 当初、「小説家になろう」に掲載していたのですが、「カクヨム」に引っ越しして、不定期更新の長編風の感じにして、全体タイトルも「哪吒(ナージャ) ~やんちゃな風雲児を解き放ってしまった女子高生の厄難~」と付け直しました。「なろう」には、シリーズ設定というものがあるのですが、設定してもシリーズものだということが全く理解してもらえていない感じなんですよね。

 「哪吒(ナージャ)」は、毘沙門天の息子ですが、アジア諸国では人気者です。「封神演義」でも取り上げられていて、これはアニメ化もしたので、知っている人は知っている。ですが、日本ではマイナーな存在です。

 この作品は、彼を登場させつつ、主人公は真言宗のお寺の女子高生という設定です。それだけを見ると、高橋留美子先生の「犬夜叉」に近い感じですね。私は、マイナーな短編まで買い漁るほど、高橋先生の大ファンでもあります。

 この後、犬夜叉でいう「奈落」みたいなボスキャラも登場させようかなとも思っています。でも、主人公がまだ成長途上なので、まずは、その存在をサジェスチョンするところからですね。

 こちらの作品。まだまだ導入部で止まっていますが、是非お読みいただけると嬉しいです。ついでに、評価などいただけると、作者のモチベーションも高まります。続きが、早く書けるかも。

チェロという楽器を独奏楽器に押し上げた人 ~パブロ・カザルス~

 音楽家の正装の話を書いたので、続きの話を書きます。

 今や、チェロという楽器が独奏楽器と言っても、疑問をはさむ人はいないでしょう。

 初めて弦楽器を習おうかという人が、ヴァイオンにするか、チェロにするか悩むということもよく聞きます。チェロのケースを抱えて街を行く姿を目にすることも、珍しくなくなりました。音楽教室は活況で、ヴァイオンよりもチェロの方が多いのでは、という勢いです。

 ですが、チェロが独奏楽器として広く認知されたのは、20世紀に入ってからです。

 そのきっかけとなったのは、パブロ・カザルスがもたらした、演奏技術の改革です。

 前に書いたように、クラシック音楽は、もともと王侯貴族の前で演奏するものでした。このために、演奏の見た目も重視されます。特に、弦楽器は、弓を動かす動作をするので目立ちます。弦楽器の運弓をいかに優雅に見せるかということで、いくつかの流派がありました。これらの流派では、肘を体から離してはならないとか、pかfかにかかわらず、常に全弓を使わなければならないとか、今からすると信じがたいものでした。

 カザルスは、「演奏技術は演奏する音楽にしたがうものだ」ということを主張した人物です。弓を使う量もpなら少なく、fなら多くという、今ではごく当たり前のことが、当時は、革命的なことと受け止められたのです。

 当時は、古い秩序が破壊され、新しい価値を提示することがもてはやされたこともあり、彼の主張は賛辞を持って受け入れられます。さらに、ヴァイオンなどの奏法にも取り入れられていきます。

バルセロナのカザルス像

 カザルスは、クラシック音楽の本場ではないスペインの出身で、なんと正式に先生にチェロを習ったのは4年間だけなのだそうです。だからこそ、古い伝統にとらわれずに、自由な主張ができたのかもしれません。

 残念ながら、カザルス自身は、自らのチェロの技術について、教則本的な著作は残していませんが、その弟子たちは、かなり細かな著作を残しています。音楽家は、実は、練習曲(エチュード)は残していても、演奏技術を書き記した書物は、ほとんどないのが実情です。練習曲から、技術を推定するしかないのです。そんな中で、カザルスの弟子たちの著作はとても貴重なものです。

 カザルスが主張した技術の数々は、運弓だけではなく、フィンガリングなどにも及びます。その中の一つに、「左手のパーカッション」と呼ぶ技術がありました。カザルスは、左手で弦を押さえるときに、素早く叩くようにすることで、音のアーティキュレーションがクリアになると主張しました。左手を使ったピチカートは、パガニーニが書いた超絶技巧を駆使した曲などで出てくるので、まったくのオリジナルではありませんが、これをピチカートではなく、弦を押さえるときに使うというのは、カザルスのオリジナルです。

 昭和の時代くらいまでは、このやり方が主流でした。ですが、技術は不変ではありません。水泳の泳法が、昭和の時代と令和の現代では変化しているように、楽器の奏法も変化します。現在では、左手で弦を叩くことはしませんし、押さえるときも、指板から少し浮かせるのが主流です。そのほうが、指板との摩擦がなくなり、弦がよく鳴るのです。

 余談ですが、左手のピチカートというのは、うまく使うと効果を発揮することがあります。例えば、ブラームスチェロソナタ第1番の第1楽章で、アルコで弾いていて、突然に1発だけDのピチカートが出てきます。これをアルコで弾いていたのを持ち替えて、右手で演奏すると、とてもせわしなくなりますが、開放弦のDを左手で弾くとスムーズにできます。

 オーケストラの作品でも、アルコとピチカートの切り替えが難しいことは良くあります、時間がない時は、持ち替えずに中指を伸ばして弾く手もありますが、プルトで分担して、表の人はアルコを早めに切り上げてピチカートを弾き、裏の人はアルコの音を最後まで弾いて、ピチカートは弾かないというように分担する場合もあります。実は、今練習しているブラ2でもあるのですが、アルコの直後に出てくる音が開放弦のGでいけるので、左手で弾いています。

 また、カザルスの業績の一つに、バッハの無伴奏チェロ組曲の価値を知らしめたことがあります。バッハの音楽が忘れ去られていた、という話は既に書きました。カザルスの時代、ある程度復権はしていたものの、無伴奏チェロ組曲は、まったく注目どころか、理解されていない作品でした。

 この前提に、時代による音楽様式の変化があります。バロック時代の音楽は、その前のルネサンス期の音楽の影響が残っていました。ルネサンスの音楽は、教会音楽、中でも合唱がメイン。合唱は、4声部などのものでしたが、主従関係はなく、4声部が平等に絡み合っていくポリフォニーというやつです。バッハのフーガは、まさにこれを発展させた作曲技法なわけです。

 バッハの無伴奏チェロ組曲は、このポリフォニーのテイストを、独奏楽器で表現するという大胆なものでした。ですが、これが結構難しい。そういう曲なのだという前提に、聴いている方も、声部の絡み合いを頭の中で補ってあげないと、意味がわからない。

 時代が、ハイドンモーツアルトの時代になると、音楽の様式が変わります。メロディーが主役として固定され、これを伴奏が支えるという様式に変化します。これが音楽の形の常識だという認識は19世紀まで続くのです。

 バッハの無伴奏チェロ組曲では、1番や4番のプレリュードなど、延々と分散和音が続く曲があります。これを見て、実は、これはメロディー部分が失われた伴奏部分のパート譜なのではないのか、という説まであるほどでした。

youtu.be 第1番のプレリュードは、平均律クラビーア曲集第1番にとてもよく似ています。作曲家のグノーは、これを伴奏として「アベ・マリア」のメロディーを作曲しているのですが、まさにその発想ですね。 

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  カザルスは、粘り強くこの曲を演奏し続け、その価値が認められるようになっていきました。彼は、無伴奏チェロ組曲の楽譜を、子供のころに古本屋で見つけ、その価値を認めてずっと温めていたのでした。すごい、執念です。で、結局、バッハの無伴奏チェロ組曲は「チェロの旧約聖書」とまで呼ばれるメジャーなレパートリーとなったのです。

 ということで、チェロを独奏とした曲が本格的に作曲されるのは19世紀末に入ってからで、時代的には「現代音楽」となります。

 そんな中で、貴重なのが、ベートーヴェン先生のチェロ作品です。ヴェートーヴェン先生は、チェロソナタを5曲。チェロとピアノの変奏曲を3曲。そして、ホルンソナタのチェロ用編曲版を残しています。これが、また異例で貴重なものなのです。ちなみに、ベートーヴェンチェロソナタは「チェロの新約聖書」とも呼ばれます。

 これは、すなわち、本格的なチェロ作品のレパートリーが、カザルスの時代、少なかったことを意味します。このため、カザルスは、他の作品から転用した小品を多く演奏しています。フォーレの歌曲「夢の後に」をチェロで演奏したものなどが代表選手ですが、こちらは他の演奏家も倣って演奏するようになって、チェロ版の方が、むしろ有名なほどです。

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 こうして、チェロという楽器は、独奏楽器としての市民権を得て、それ以降は独創チェロの作品が多く書かれることになるのでした。

 

 

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バッハの頭髪はチリチリパーマの総白髪?

 学校の音楽室などに飾ってある、バッハなどの作曲家の肖像画の頭を見ると、真っ白で、かなりきついパーマがかかっています。あれは、どういうこと? 音楽の授業では教えてくれないし、意外に知っている人は少ない。

 答えを先に言ってしまうと、あれはカツラです。燕尾服を着て、頭にはカツラを被るのがヨーロッパの正装なのです。

 ベートーヴェンよりも前の時代の作曲家たちは、王侯貴族や教会のお抱え楽団で演奏する職人でした。雇い主の要望に応じて演奏をするし、行事などのために作曲もするというスタイルです。そういう高貴な人たちの前で演奏するので、正装をしていたわけです。

 指揮者のことを「マエストロ」と呼びます。これを日本では「巨匠」と訳していますが、もともとの意味は職人の「親方」くらいのニュアンスのものです。

 クラシックの演奏家が燕尾服を着る習慣は残りますが、カツラは省略されるようになりました。

 現在でも、正式な場では、正装をしていることがあります。以前、国際司法裁判所の法廷がニュースで放映された場面を見たことがありますが、原告代理人の弁護士らしき人は、燕尾服を着て白いカツラを着けていました。

 モーツアルトが生きている時代。1789年にフランス革命が起こり、革命のうねりが他国へと伝播していきます。それに伴い、時代の主役は、王侯貴族から市民へと変化し、楽団の雇い主は王侯貴族から都市の自治体などへと変化します。

 余談ですが、モーツアルトが子どものころ、神童をアピールするために父親に連れられて、各国を旅しました。ハプスブルク家の宮廷を訪れたとき、当時7歳のモーツアルトは、女帝マリア・テレジアの末娘のマリア・アントーニアに求婚したという有名な話があります。マリア・アントーニアは、フランスのブルボン家ルイ16世と政略結婚します。名前もフランス風にマリー・アントワネットと呼ばれます。彼女の末路は、皆さんご存知のとおりです。

 バッハが活動の中心としたライプツィヒの町には、バッハの立派な銅像があります。これも、やはりカツラを被っていますね。

 この銅像ですが、上着の左ポケットが裏返しになってます。子沢山のバッハの家計は苦しく、スッカラカンだったというジョークらしいです。


ライプツィヒのバッハ像

 職人なので身分は高くありませんが、ルネサンス以来の芸術を重んじる風潮はあって、著名な作曲家は尊敬される存在でした。ただ、バッハは、今でこそ音楽の父などと呼ばれ、もてはやされていますが、存命時は、田舎の都市でちょっと有名なおっさんくらいの感じでした。

 現在につながる学問・芸術の端緒はルネサンスにあります。音楽も同じで、まずはイタリアから始まります。当時の音楽の中心はイタリアでした。アレグロ、フォルテなどの音楽用語がイタリア語なのは、ここから来ています。

 ロマン派の時代になると、バッハの音楽は忘れ去られてしまいます。

 ですが19世紀の後半になってくると、民族自治の思想が広まり、国民国家の概念が生まれます。政治学でいうところのネーション・ステイト・システムというものですね。簡単に言ってしまうと、民族=国民が国家を形成し、一体不可分の関係になったものです。

 そうなったことで、各国では、音楽に関しても民族の伝統に根差したアイデンティティ求め始めます。例えば、チェコの音楽の父はスメタナで、これをドヴォルザークが開花させたといった感じです。音楽の主題にも、民族音楽が使われるようになります。

 そんな中で、メンデルスゾーンがバッハのマタイ受難曲の復活公演を行い、バッハの音楽が息を吹き返します。結果、ドイツでは、音楽の父はバッハだということになっていったのでした。

 私個人的には、お国事情を脇において考えると、現代につながる交響曲弦楽四重奏曲などの原形を作ったのはハイドンなので、音楽の父はハイドンなのではと思うのですがいかがでしょう? まあ、ハイドンは、音楽の母という言葉もあるらしいですが。

 音楽についても、国の独自性を、という流れができてくると、音楽用語もイタリア語ではなくて、自国語を使うようになっていきます。ドイツなら、シューマンから後の人たちなどですね。

 気持ちはわかるのですが、関係のない日本人からすると、これが面倒くさい。例えば、マーラーは、楽譜へ書き込む指示が多くて、細かいことで有名なのですが、ネットで検索すると、彼の指示の日本語訳のページがかなりヒットするくらいです。ですが、そう簡単ではない。これは違うんじゃないか、という訳がかなりある。ドイツ語の微妙なニュアンスを簡単に伝えられるなら、プロの翻訳家はいらないというところなのでしょうね。

 

ショパンとチェロのお話

 今、個人レッスンで、ショパンチェロソナタをやっています。今日、ちょうど1楽章が終わって、次回は2楽章。

 1月に発表会があって、2曲候補を用意していました。

 1曲目は、ピアソラのル・グラン・タンゴ(Le Grand Tango)。チェリストロストロポーヴィチピアソラに委嘱して作曲したチェロとピアノのための作品です。

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 ピアソラは、もともとクラッシク志望の作曲家でした。当時の世界の芸術の中心はパリ。彼は、ストラヴィンスキーへ弟子入りを願い出ますが、「君はタンゴを続けた方がいい」と断られ断念します。お隣ブラジルの作曲家、ビラ・ロボスがパリへ留学して、活躍したのと対照的です。

 といいつつ、ピアソラの作品は、ストラヴィンスキーバルトークなどのクラシック音楽のテイストを多く取り入れています。もともとのタンゴのエキゾチックな音楽に、複雑なリズムや変拍子なども使って前衛的要素もあります。そこがクラシックの音楽家にうけるところでもあるのでしょう。ピアソラにはまってCDを発売しちゃってる演奏家も多いです。かく言う、私も、その一人だったわけです。

 発表会では、結局、この曲をやりました。ですが、この曲。チェロの休みが7小節しかない。譜めくりができないので、初めて暗譜で演奏しました。

 タンゴ独特のグルーブ感もなかなか出せない。技術的にも、クラシックではポルタメント(ある音から次の音へ移る際に指を滑らせる技法)ができるだけ目立たないように弾くことが多いですが、タンゴでは、表現のために、あえてかけるなど、弾き慣れていない技法も使われていて、慣れるまでたいへんでした。

 それで、もう1曲用意していたのが、ショパンの「序奏と華麗なポロネーズ」(Introduction et polonaise brillante)Op.3。ショパンが若い時の作品です。

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 で、この曲はチェロパートが地味なので、ピアノパートと入れ替えた編曲版で演奏されることが多く、何種類かあるようです。元々、ショパンがピアノで弾くことを想定していた華麗なパッセージをチェロで弾くので、相当な難易度の高い曲です。せっかく用意していたので、発表会が終わった後は、この曲をレッスンでやりました。時間はかかりましたが、その分成長した気はします。

 ショパンチェロソナタは、昨年の夏ごろにもやっていたのですが、発表会の練習のため中断していたものを再開した形です。

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 器楽の作曲家は、ヴェートーヴェン以来の伝統なのか、いろいろなジャンルの曲を書くことが多いです。が、ショパンは、圧倒的にピアノ独奏作品ばかりですし、ショパンといえばピアノ曲の作曲家のイメージが強いです。

 そんな中で、若い時の作品ですが、チェロとピアノの二重奏を書いているのは、意外な感じがします。そのほかにも、ヴァイオン、チェロとピアノのトリオも書いています。ショパンはチェロが好きだったのではないか、という説もありますが、どうなのでしょうか? その後は、チェロが入った作品を、長い間書いていません。

 チェロソナタは、恋人のジョルジュ・サンド破局を迎えた後の最晩年の作品です。ショパンは、フランショームという名チェリストと懇意にしていました。晩年は、結核で体調も悪化するし、金銭的にも困窮したりしていたところを、フランショームに援助してもらいます。

 そのお礼というニュアンスもあって、最晩年に再び室内楽作品を書くことになったのでした。曲は、ショパンの名前で発表されていますが、彼は、チェロの演奏技術には詳しくないので、フランショームの助言もかなり入っていると推測されています。

 ショパンは、チェロとピアノによる「悪魔ロベール」の主題による大二重奏曲を書いているのですが、こちらは合作として発表されています。

 このフランショームさんですが、12のカプリースなどが、今でもチェロ用の練習曲として出版されています。チェロを学習している人間なら、名前は聞いたことがある人です。

 と、そんないきさつがあって、ショパンとチェロという意外な組み合わせが、再び実現したのでした。

 チェロという楽器ですが、独奏楽器として本格的に認知されるのは、19世紀も終わり近くになってからです。なので、ロマン派の作曲家のチェロソナタというのは、とても貴重なものです。

 あくまでもショパンの曲なので、ショパンのテイストで弾かねばと思うのですが、パッセージは、やはりショパンっぽい。つまり、ピアノ風のパッセージなので、これをチェロでショパンっぽく弾くには、どうしたらいいのだろう? 結構、悩むところです。 

 ロストロポーヴィチアルゲリッチがCDを出しているのですが、あんなにゴリゴリ弾いたらショパンじゃない、と私は思う。ショパンは、もっと繊細な人だったはずです。話は戻りますが、ロストロポーヴィチが弾いているル・グラン・タンゴも、ちょっと違うと思う。あれは、タンゴじゃない。

 そんなわけで、いろいろな録音を聴いてみるのですが、まだ決定版には出会えていないのでした。

 話は変わるのですが、ピアニストの作曲家では、ラフマニノフがやはりチェロソナタを書いています。これは偶然の一致なのか? 何か不思議な因縁を感じます。

 

 

音楽教室 子どもたちに一番人気の楽器は?

 以前にも書きましたとおり、先週の金曜日に、地方公演へ行ってきました。

 児童・生徒向けの音楽教室と夕方の一向けコンサートのダブル公演。とても疲れますが、お客様には好評で、嬉しさもひとしおというもの。クラシック音楽の知識などなくても、音楽は楽しめるのです。子どもたちや普段オーケストラの音楽に接する機会のない方々に音楽をお届けできて、団員一同、満足しております。

 平日の公演ということで、参加する団員を募るのも一苦労でした。チェロは残念ながら2プルトの4人。特にヴェートーヴェンの「運命」は、低弦が活躍する曲なので、バランス的にいつもより頑張って弾かねばと覚悟していたところ、会場ホールの響きが良くてビックリ。最近に建てられた多目的ホールなのだそうですが、こういう音響の良いホールは弦楽器にとって弾きやすい。パート内の音を揃えるのも楽でした。

 昼に行った音楽教室。定番の楽器紹介で、短く曲を演奏します。これがいつもの悩みどころ。それぞれの楽器が趣向を凝らします。正統派のクラッシクの曲をやるか、子供たちにうけそうな曲をやるか? チェロは、悩んだ末、ハウルの動く城から「人生のメリーゴーランド」をやりました。

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 たぶん、何の曲かは理解してもらえたようですが、反応はいまいち。一番うけたのは、トランペットがやった鬼滅の刃でした。やはり、現役のアニメには勝てないのかぁー。次回もあると思うので、どうするか考えます。

 そして、楽器として一番うけるのが、なんといってもコントラバス

 小学生の子どもたちは素直なので、「でッケー!」と驚きが言葉に出るのが面白い。小学生低学年の子たちからみると、身長の倍くらいの大きさです。確かに大きい。大人でも、身長の倍の大きさの楽器があったらと想像すると、気持ちもわかります。

コントラバス

 そして、よくクイズに出される問題。

コントラバスだけ、オーケストラの弦楽器の中で仲間外れです。どうしてかな?」

 子どもたちは、必死に考えます。

「弦を巻くところ(ペグ)がネジになってる」

「確かにそうなんだけど、惜しい」

コントラバスだけ、形が違う」

「大正解ーっ!」

 ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロは、ヴァイオリン属と呼ばれ、形は相似形をしています。コントラバスは、ヴィオール属の楽器で形が違います。

 一目でわかるのは、ヴァイオリン属は「いかり肩」なのに対し、コントラバスは「なで肩」なのです。

 そして、音楽教室の終了後。楽器を持って、子どもたちのお見送りをしていると、子どもたちは、コントラバスに群がってきます。チェロを含め、他の楽器は見向きもされません。大きいという意味では、チューバも大きいのですがなぜなのでしょう?

 基本的に、大きな楽器というものは、体格が良くないと、十分に音も出せません。そんなことで、チューバ奏者は、おおむねゴッツイおじさんが多い。

 コントラバスも同じく、体格が大きくないときついのですが、スマートなお兄さんや女性の奏者もいます。今回の公演では、女性のコントラバス奏者はいませんでしたが、優しそうなお兄さんたちだったので、近づきやすかったのでしょうか? 謎です。

 コントラバスには謎があって、アマオケでは、小柄な女性奏者が結構います。女には、大きなものにしがみつきたい本能的な欲求でもあるのでしょうか? 「のだめカンタービレ」でも、小柄な女性のコントラバス奏者が出てきますが、おそらく取材の成果なのではと思います。

 大きさの話をすると、ヨーロッパ発祥のものなので、楽器はヨーロピアンサイズです。一番言われるのが、ピアノ。私も、手はそれほど大きくないので、ピアノだと精一杯手を広げても9度(1オクターブと1音)しか届きません。が、ピアノ曲では、これを超える和音は珍しくもありません。手の小さな日本人は、これを分割してアルペジオで弾くしかないのです。日本人サイズのピアノも作られたりしたようですが、結局は普及していないですね。

 チェロは、ボーダーラインくらいのところの楽器です。オケの曲をやっていて、たまに出てくるのが、1オクターブの重音、又は1オクターブの跳躍です。

 低いポジションでの1オクターブの重音は、私の手で人差し指と小指を精一杯広げれば何とか届く程度。手の小さな人は無理なので、親指を指板上に出して、親指と薬指で押さえるしか方法はありません。技術的には、かなり面倒になりますが、不可能ではありません。

 1オクターブの跳躍も、隣の弦で弾く場合には同じこと。テンポがゆっくりであれば、1弦飛ばして隣の隣の弦を弾くこともできます。この選択が、悩みどころです。

 オケの曲ではありませんが、オクターブ跳躍の連続で思いつくのが、ヴェートーヴェンのチェロソナタ第2番第2楽章のラストの部分ですね。ヴェートーヴェン先生は、こういうねちっこい虐め行為が結構あるのです。

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 これを演奏しているメネセスさんは、軽々と弾いています。ビデオではよく見えませんが、少なくとも親指は使っていませんね。

 チェロのソロの曲ですと、私の手の大きさでは、演奏不能な曲もあります。ブリテン無伴奏チェロソナタの第3番では、同じ音を2弦で弾く箇所が出てくるのですが、私の手の大きさで低いポジションを弾くのは完全に不可能でした。3センチくらい足りません。そもそも、この曲は、名チェリストロストロポーヴィチと交友のあったブリテンが彼に献呈した曲なので、ロストロポーヴィチ基準で作ってあります。彼はロシア(旧ソ連)人で体格が日本人とは桁違い。私が弾けないのも、無理はないのでした。