FUMONIN Hikaru's Artistic Days

Web投稿などで活動するアマチュア作家・小説家で、オケなどで活動するアマチュアのチェリストです。

マイブーム再燃 ~ヨハネス・ブラームス~

お題「雨の日に聴きたい曲は・・・?」

 まずは、宣伝です。

 ブラームス交響曲第3番をネタに、短編を一本書きました。5千字弱/10分ちょっとで読めるので、連休のお供にお読みいただけると、とても嬉しいです。

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 この作品。ちょこちょこと私の実体験を混ぜております。よく「嘘に真実を混ぜ込むと真実味が増す」といいますが、小説もフィクションですから同じかなあと。

 で、検索してみたところ、「嘘に真実を……」というセリフは、マンガやらアニメで結構使われているようです。私の記憶が確かなら、出典は名探偵ポアロの口癖的なセリフだったように思います。たぶん、アガサクリスティーは、他人のネタをパクったりはしていないと思うので。

 作品で焦点を当てているのは、もちろん第3楽章のPoco allegretto、ハ短調、3/8拍子の部分です。フランソワーズ・サガンの小説『ブラームスはお好き』に基づく映画『さよならをもう一度』の主題曲として、一気に有名になった作品ですね。また、フランク・シナトラを皮切りに、さまざまな歌手が歌詞をつけて歌ってもいます。

 冒頭でいきなりチェロで提示されるアンニュイな旋律がとても印象的です。あとからヴァイオリンにも引き継がれ、チェロのオブリガート的なパッセージと絡み合うさまは、男女がもつれ合っているかのようです。

 オーケストレーション的には、ヴァイオリンでも十分弾ける音域なところ、あえてチェロでというのがミソですね。まず、音色がヴァイオリンよりもマイルドということもあります。チェロの音域としては高めなので、頑張ってる感が何かを主張しているかのような効果を生んでいますし、女性を口説くときは、声のトーンが自然と高くなりますよね。そんな感じです。

 「アンニュイ」というフランス語ですが、なかなか使い方が難しい単語です。

 主に「物憂げな」、「気だるい」といった意味がメインではありますが、一方で「ミステリアス」というニュアンスも含みます。で、この単語。まさに、この曲を形容するのにピッタリな単語だと、私は思うのです。

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 この旋律。すてきではあるのですが、一方でクサいなと感じることもあります。口説き文句も、あまりに甘々だと、クサくなるのといっしょです。

 個人的には、この旋律は、ブラームスのクサい旋律の双璧をなすと思っております。もう1曲は、弦楽6重奏曲第1番の第2楽章です。

 この曲は、ブラームスがご執心のクララ・シューマンが気に入ったので、自らピアノ独奏用に編曲してプレゼントしたという、いわくつきの曲です。オケの先輩が、この曲を評して「ド演歌」だと言っていましたが、言い得て妙だと思います。

 でも、この曲を作曲したとき、ブラームスはまだ20代でした。ならば、若気の至りで、クサいのも致し方ないかなとも思います。一方で、交響曲第3番は50歳での作曲です。クサいといっても、こちらの方が洗練されていて当然なのです。

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 それで、やっとタイトルのマイブームの話です。私の中ではマイブームが度々あって、これまで様々な作曲家にはまってきました。

 第1次ブラームスブームは、学生時代の頃から。作品的には渋いものが多いですが、ツウな若者の琴線に触れる部分も多々あると思うのです。

 現在の、第2次ブームのきっかけは、所属しているオケで、立て続けにブラームスを取り上げたことにあります。

 まずは、交響曲第3番、さらに、以前からやりたいと思っていて機会に恵まれなかった悲劇的序曲、そして現在、交響曲第2番を9月の本番に向けて練習中です。この曲は、学生時代にも取り組んだ曲で、とても懐かしいことが一つ。当時は、時間に余裕があったので、練習しまくったので、音楽が体の奥に染みついています。時間をおいて成長した今、技術的にも精神的にも、より深い表現ができる期待でワクワクしています。

 さらに、クラリネット3重奏曲です。

  実は、第1次ブームの末期。ブラームスの後期作品に夢中になっていました。

 ブラームスは、晩年に、作曲をするための霊感の衰えを感じ、作曲を取りやめた時期があります。財産整理をして、遺言書まで書き始める始末です。

 そんな彼は、ミュールフェルトという名クラリネット奏者の演奏に触れて、作曲への意欲を取り戻しました。こうして、一連のクラリネットを含む室内楽作品が生まれます。その一つが、クラリネット、チェロ、ピアノによる3重奏曲です。

 このクラリネットとチェロの組合せが絶妙で、何とも言えない物悲しい雰囲気を醸し出します。解説書などによると、「諦観」などとよく書かれているのですが、個人的には、それは決めつけすぎではないかと思っています。

 老成した作曲家の作品が、枝葉を切り捨てられてシンプルになっていく傾向は、他の作曲家でも多く見られます。感情が爆発するような表現は、なりを潜めますが、それを「諦観」といい切っちゃうかなあ。私は、悟りを開いた修行僧のようにも思うのですが、いかがでしょうか?

 で、この曲ですが、いつかやりたいと思っていて、数年前に楽譜は購入済みでした。そこで、偶然、ネット上で室内楽のレッスンをやっている音楽スクールを発見しました。レッスン代も高くないし、講師がメンバーに入ってレベルを維持するとのこと。一度通ってみようかと思い、こちらも練習を始めました。

 そんなわけで、現在は、交響曲クラリネット3重奏曲の2本立てで練習をしています。

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 チェロの個人レッスンの方も、チェロソナタの2番をまだやっていないし、ドッペルコンチェルトもやってみたい。ドッペルコンチェルトは、ブラームス最後の管弦楽作品。ずっとずっとやりたいと思っていて、ときおり思い出して聴かずにはいられない。

 あとはクラリネット5重奏曲もいいし、忘れてならないのは弦楽4重奏曲第1番ですね。これは交響曲第1番と双璧をなす名曲です。交響曲同様に、ブラームスの気合入りまくりな感じの作品です。なにせ、ブラームスが尊敬してやまないベートーヴェン先生の後期弦楽4重奏曲は、神がかっていますからね。あれを意識してしまったら、なまじっかな作品は書けないというものです。

 などと、いろいろ考えていると、ブラームスが止まらない。今はそんな心境です。